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【報告】第17回新春緊急北朝鮮問題セミナー

「張成澤失脚、どうなる北朝鮮」

2014年1月29日 東京・学士会館

講師:五味洋治(東京新聞編集委員)

コメンテーター:小牧輝夫(東アジア総合研究所所長)
モデレーター:小野田明広(東アジア総合研究所副理事長)


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東アジア総合研究所は、北朝鮮のナンバー2とされた張成澤国防委員会副委員長が2013年12月に失脚・処刑された衝撃がさめやらぬ1月29日、東京新聞の五味洋治編集委員を講師に迎え、東京神保町の学士会館で新春緊急北朝鮮問題セミナーを開きました。北朝鮮問題セミナーは17回目。金正恩第1書記の異母兄、金正男氏との往復メールの著作で知られるベテラン北朝鮮ウォッチャー、五味講師が、興味深い現状分析を報告。当研究所の小牧輝夫所長や姜英之理事長、会場の参加者たちと五味講師との間で、活発な意見交換が展開されました。


冒頭に姜英之理事長が「2010年春の韓国哨戒艦『天安』沈没事件をきっかけに北朝鮮セミナーを開始、「ポスト金正日」を見据えつつ、核実験や長距離弾道ミサイル発射など朝鮮半島情勢の激動を適宜フォローしてきた」と経過を概観。講演と関連資料、月刊誌やウェブ版の「東アジアレビュー」への報告を通じ、金正恩体制への移行過程を浮き彫りにできたとの自負を抱いていると述べた。
北朝鮮支持と非難の激しい意見対立を持ち込んだり優劣を付けようとせず、異なった意見を尊重するリベラルな立場から、客観的で正確な論議を深めるのが、東アジア総合研究所の北朝鮮セミナーの目的だと述べ、参加者に理解を求めた。
当研究所の小野田明広副理事長がモデレーター役となり、五味講師の著書「父・金正日と私 金正男独占告白」が、料理人・藤本健二氏の本と並び、北朝鮮要人に関する貴重な1次資料として国際的に高く評価されていると紹介した。

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五味講師は、自著を2012年1月に刊行した後、マカオを訪れたり手紙やメールを送ったりしたが、金正男氏とは連絡が取れなくなっている事情を説明した。金正男氏の友人の話では、金正男氏は中南米の島に自らの投資会社を保有しており、生活費には困っていないという。真偽はよく分からないところもあるが、張成澤失脚後も「それほど影響は受けていないのではないか」と、この友人は語ったそうだ。

2013年暮れ、週刊誌の依頼で「張成澤失脚の背景」を脱北者らから聞き取り、北京勤務時代に知り合った中朝国境地域の住人や朝鮮族の人とも連絡し、うわさが中心だったが、情報を集めてきた。直接取材、報道、聞き取りを区別しながら、参考になるよう報告すると述べた。

張成澤と崔竜海

張成澤氏は、報道された経歴のほか、1991年ごろ訪日、在日朝鮮人団体の歓迎を受け海浜公園などを視察、公安関係者が警備したとの話があったという。
2006年に本人を直接見る機会もあった。金正日総書記が広州など中国各地を視察をした後、張成澤氏が約40人の経済テクノクラートを率いて訪中した際の北京空港での話だ。大量の資料を抱えたテクノクラートの乗るワゴン車を従え、中国外務省の高級車に1人だけ乗って到着。小柄で、質問したがジロッと見ただけで答えず、ゆっくり慎重な歩きぶりだった。当時、北朝鮮の訪中団は、中国式の改革開放を真剣に考え学んでいったとされていた。時期的に早すぎたのか、北朝鮮については経済改革の動きが見えたとか消えたとかはっきりしない話が多かったが、これもその一つにすぎなかったのか、今でも明確ではない。いずれにせよ、中国南部で1週間にわたりハイテク企業などを視察し多量の資料を持ち帰ったことからすると、それなりにやる気があったのではないか。張成澤氏と中国の結びつきが強いという話は、この2006年ごろから次第によく聞かれるようになった。張成澤氏はそれまで実力者としては知られていなかった。

張成澤氏は韓国も訪れて視察し政府要人と会った。統一相として当時会談した丁世鉉氏は「穏健で合理性のある人間。自分で人を集めたのではなく、人が自然と集まってきたようだ」と言っていた。1月9日のNHK総合テレビ「クローズアップ現代」に出た「張成澤氏をよく知る脱北者」はワシントンで研究員同士の知り合いだったが、「張成澤氏は部下とよく飲んだりする面倒見の良い人だった」と指摘していた。この脱北者は金融関係スペシャリストで、シンガポールにいた人だ。
一方、在日朝鮮人商工人からは、張成澤氏が平壌の大同江のほとりにある招待所をホテルに改造し、金をかけた接待で自派の系列作りに励んだという厳しい見方も聞いた。またうわさだが、甥がマレーシアにいて、そこに秘密口座を持ち、監視の目を逃れて北朝鮮から客を招待し部下に育てたという話もある。

中国の改革開放に熱心でよく研究していたというプラスの面と、周辺に人を集めて自分で得た外貨を好きなように使ったというマイナス面の両面の評価がある。そのどちらが真実なのかはよく分からない。判決文の中にはマイナス面は多く出てくるが、プラス面はどうだったのか、この処分の結果どんな影響が出てくるかは、今後の論議の的になる点だと思う。

脱北者の間では2013年暮れ段階には、人民軍総政治局長の崔竜海氏が張成澤氏と対立しナンバーツーの地位を確保したというのが定説だった。だが2014年に入って見方が変わってきているようだ。崔竜海氏が金正恩第1書記に同行する回数が減り、写真でも遠くに写るようになったことから、やはり彼も疎まれているのではないかとの憶測が出ている。RP(ラヂオプレス)によると、昨日1月28日に金正恩第1書記が朝鮮人民軍の第323部隊を視察した際にも同行していない。必ずしもナンバーツーとして第1書記の心をつかみ、がっちり隣に座っているということでもないのかもしれない。今後の動きを見守る必要がある。
対照的に朴奉珠首相が金正恩第1書記と同行する回数が増えている。朴奉珠氏は張成澤派といわれていたが、実は対立関係にあったのではという見方がある。北朝鮮で主導権を握っていくのは朴奉珠氏だろうという観測も韓国内で出ている。張成澤氏が粛正されて会議場から連れ出された12月8日の労働党中央委員会政治局拡大会議で、朴奉珠氏は涙ながら批判演説をした。一方に張成澤氏に同情説、他方に利権をめぐる対立説、と両方の見方がある。今後の金正恩第1書記の動きで次第に明らかになるだろう。中朝経済特区の運営チームができて朴奉珠氏が責任者になったという北朝鮮消息筋の報道もある(韓国で活動する「NK知識人連帯」)。朴奉珠氏はかつて訪中し中国要人と会ったこともあるので、場合によっては近々、朴奉珠氏が訪中する可能性があるかもしれない。

処刑の背景(判決文の内容分析−1)

判決文で目につくのは、2009年のデノミの責任、首都建設事業を故意に邪魔した、石炭をはじめとする貴重な地下資源をむやみに売り飛ばした、資本主義の堕落ぶりが北朝鮮内部に入ってくるように先導した政変陰謀—などだ。私の知っている張成澤氏の像からすると、そういうこともあったのかなという気もする。首都圏建設事業に関連しては、北京で張成澤氏の息が掛かった北朝鮮ビジネスマンが建設資材を購入する機会がかなりあり、それを軍の傘下企業に転売し、そこからも利益を得ていたので軍から不満が寄せられた、と聞いたことがある。石炭は茂山の無煙炭を指しているが、日朝関係が良かった時代には日本の鉄鋼会社にも納入し高く売れていた、と当時取り扱った在日の人から聞いた。だが張成澤氏は中国に配慮するあまり、市場より安い価格で売り、その代わりに中国から建設資材や掘削機を導入するバーター取引をやっていたのだ、と言う人もいた。判決文も、それなりに根拠があるのかなとも思う。
政変は、どの範囲まで支持者がいたのか分からないが、粛正は続行中だと韓国の国情院はみている。
「自白」部分は「全くのでたらめ」という人もいるが、多数の目に触れる文章に虚偽だけを書き並べるとは考えにくい。北朝鮮の発表文には何らかの真実が入っていることが多いと感じられることからも、オーバーに書いている部分はあるだろうが完全切り捨てでは済まないと思う。
「国の経済建設が破局的になり、経済が完全に破たんすれば自分が首相になり」など自白とされる部分をそのまま判決文に載せたのは、実際がそうだったのかな、とも窺われる。
第1書記、党、軍などの利害が相反する部分、重複する部分を概念図で示してみた。「外交への口出し」部分については、2013年秋にアントニオ猪木参院議員が訪朝した際に張成澤氏が同席したが独善的にそうしたといううわさもあったので、同議員に直接に聞いた。独自外交をしていたことはないだろうと否定的な見方だった。「正恩元帥から、難しい時期に訪れてくれて感謝する、今後も尽力してほしい、とのお言葉を授かってきた」張成澤氏は切り出したということで、言葉通りに受け止めれば、金正恩氏から指示を受けて外交をしていたことになる、とアントニオ猪木議員は言っていた。
最近1月に同議員が北京を訪れた際に張成澤氏処刑の話を聞いたら「権力が大きくなりすぎた」と人々は言っていた。北朝鮮で商売をやっている中国人が「許認可権が早く下りるようになった」と喜んでいて、「張成澤氏が権利を独占し、なかなか処理しないで滞っていたのか」と尋ねたら「そうじゃあないんですかね」と言っていたそうだ。


組織指導部と行政部との対立 外貨稼ぎ部門54局

張成澤氏が所属していた労働党行政部の機能は明確でなく、さまざまな見方があるが、ある脱北者は、本来は組織指導部の中にあって検察、指導、人事、通達などが管轄対象だったが、金正日総書記が脳卒中で倒れた後に張成澤氏がどんどん権限を膨らませたと言っていた。核心部署だった組織指導部が張成澤氏の行動を苦々しく思い、金正恩第1書記に通告したのではないかという。
興味深いのは、韓国にいる3人ぐらいの脱北者が張成澤氏処刑の後、携帯電話で平壌に連絡を取ったところ、同じエピソードを聞かされたことだ。11月に、後で処刑された張成澤氏の部下がどこかでパーティーを開き「張成澤氏、万歳」と言った、それを組織指導部などが聞き知り金正恩第1書記に報告、前からくすぶっていた反発が爆発したという話で、かなり広まっていたようだ。真偽が判然としない「行政部解散」報道も流れている。
「54局」については、中朝国境での取材時にかなり早くから「54部」として聞いていた。当時はよく分からなかったが、韓国報道に間もなく「軍総政治局の外貨稼ぎ会社、対外的には『勝利貿易会社』と称している」と紹介された。同社に所属する北朝鮮ビジネスマンは確かに北京などにいたことは自分も確認した。先軍政治の政治資金の調達として金鉱、炭坑、鉱山、漁場の独占権を一手に収め、平壌と元山にデパートを持っているとの話もある。党38号室に次ぐ2番目に大きな外貨稼ぎ会社、石炭利権をめぐる争いが引き金、などと聯合ニュースや「ニューフォーカス」は伝えた。

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消えた人 浮上した人

「消えた人 浮上した人」で浮上組にある「三池淵グループ」は、金正恩氏が聖地白頭山の麓にある三池淵という場所を視察した時に同行した若手中心の人々で、これから力を持つと目されている。在日の人から、呉克烈国防委副委員長は金日成主席と一緒に戦ったパルチザンで高齢だが、前から張成澤氏のやり方に業を煮やしていて、今回処分劇にかなり協力したのではとも聞いている。今後の推移を見る必要がある。科学技術振興の責任者に就任したとの説もある。
張成澤派には、中国大使、キューバ大使、マレーシア大使、ユネスコ代表部副代表などが含まれるようだ。甥の張勇哲マレーシア大使は召還後に帰任していないのが確認されているようで、長期に渡る消息不明から処刑の可能性も取りざたされている。北京の北朝鮮大使館で厳しいチェックが進行中だとも北京の知り合いから聞いており、大使は健在で外交活動中だが、大使館員が数カ月交代で順番に北朝鮮に召還され厳しい思想調査を受けているということだ。韓国側との接触、中国秘密警察との接触が疑われているらしい。韓国報道だと親類20人が処刑、非直系親類も農村送り、とされている。また中朝国境の中国人ビジネスマンによると、北朝鮮で近く60歳定年制が導入されるといううわさがある。すぐ実施とは思えないが、少しずつ60歳以上が排除されていく可能性がある。「浮上組」もそうなっていくと、金正恩氏の権力継承の次のステップになるのか、あるいは不安定性を招く恐れがないか、今後の注目点となる。

判決文の内容分析−2

判決文を特殊ソフトを使い頻出語を調べてみた。全5000字の中で「政変」は8回、「策動」「反逆者」も多い。抱いていた野望に焦点を当て、張成澤氏の危険性を国民にアピールしたい狙いが大きかったのではないかと推察することができる。

新年辞から見る経済への関心

金正恩第1書記が元旦に読み上げた「新年の辞」も同様に頻出語を調べたところ、もちろん「人民」が最多だが「建設」という言葉が昨年の8回に比べ今年は19回と急増している。素直に受け取れば都市建設などに力を入れようとしている兆しのようだ。今年は「生産」「勤労者」も多く、逆に「金正日同志」は6回と昨年の半分以下になった。あえて踏み込んで解釈すれば、今年は自分の独自路線を意識、経済建設に本腰を入れるという意味かもしれない。北朝鮮は昨年、中朝国境地帯を中心に13カ所の経済開発区の建設を発表した。丹東にいる友人によると、張成澤氏処刑後に黄金坪開発区に北朝鮮から大規模な視察団が来て、開発促進を要請する交渉を地元で行っていたという。この話の通りとすると、北朝鮮は中国と親しかった張成澤氏がいなくなっても、中国とはなるべく経済協力は進めていきたいのではないか。そのような気持ちがあるのは間違いないように思える。
新年辞が年間の全てを言い当てるわけではないが、「並進路線」の出現は核兵器について1カ所だけ。昨年は「革命武力」など勇ましい表現が続出したが、今年は非常に防衛的で穏やかな印象を受ける。農業部門、建設部門、科学技術部門を先頭に、企業体の責任感を高める、など経済に重点を置いた新年辞だったと言えるだろう。
ただ過去に新年辞で強調された対外貿易の拡大、石炭の輸大などの表現は今年、皆無だった。韓国統一研究院の北韓研究センター、朴*重(パク・ヒョンジュン、*はさんずいに同の横棒なし)所長は韓国メディアに、核心事業として推進中の経済開発区に言及がほとんどなかったのは内部の葛藤を感じ不安に思っているのではないか、ただし核兵器を含む攻撃兵器の現代化に拍車をかける可能性があるなどと指摘している。
建設事業で、金正恩氏が推進しているのは馬息嶺スキー場など娯楽施設が多い。現地視察したアントニオ猪木議員によると、馬息嶺のホテルは非常に豪華で、ゲレンデも10あるが、雪がなかったという。写真を見ると人工雪をまくスノーマシンがあるはずだが、それで整えられないようだ。これを国際的な呼び物にして外貨をどんどん集めるのは少し無理ではないかと、感じている。
韓国国情院は娯楽施設や金日成主席・金正日総書記偶像化に263億円を費やしたとの推計を国会に報告した(北朝鮮住民の食糧3〜4カ月分という)。

張成澤処刑の経済への影響(聞き取り)

張成澤氏の処刑が経済にどう影響するかを、脱北者の話や米国の情報でまとめてみた。北朝鮮のビジネスマンはやはり中国側との接触を控えている。国境がかなり封鎖されていて支障が出ているが、旧正月が明けた後にどうなるか見守りたい。平壌の都市建設工事も停滞するのでは、今までのような急速には進まないのではという見方が出ている。一方で張成澤氏は軍の介入で混乱を招いた経済を立て直そうとしていた、だから(処刑で)経済はますます苦しくなるのでは、という2つの見方がここにもある。動向を見守るしかないだろう。

金敬姫と金正男

金正恩第1書記の叔母、金敬姫氏は2013年9月9日の国家樹立記念日の閲兵式に参席後、表舞台に姿を見せていない。脳死説、危機的病状説、死去説もあるが、最近のうわさでは海外に、スイスで療養しているのではないかとされている。「白頭の血統」に属す人なので、どんな形でも死去なら発表する必要があり、逆に秘密にすれば社会に混乱を招きかねないと思われ、死亡説は考えられない。
金正男氏については、脱北者から「安全を確保されており、生活には困っていない。将来は大使になる可能性もある」と聞いた。シンガポールやマレーシアを行き来して投資をし、中南米に投資会社を持っていて最近は場所を移したらしい、という話だ。昨年に私が北京を訪れた際には、車が2台付き警備が倍増され厳しくなっていると聞いたが、必ずしも中国にいるわけではないようだ。ただ十分な情報がない状態となってしまっている。
以前は金正恩氏の脇によくいた妹とされるヨジョンは、最近あまり見られなくなっている。「まじめだが奔放な面もある」と伝えられている。

住民への影響

張成澤氏の処刑は北朝鮮住民にどんな影響を与えているのか。脱北者の証言の中には「死ぬべき人が死んだ。あんなやつは腹立たしい」という声がある一方、アジアプレスによると自分と張成澤の関係を述べた「反映文」「自首書」を書かせて思想統制を強めているという話もある。社会的な統制は、軍は総政治局、党は国家安全保衛部、内閣は社会保全部、それに金正恩氏が作ったとされる人民軍内務軍(数万人単位)の4つの組織で行っていると説明した人もいた。内務軍はあまり聞いたことがなかったが、報道では首都建設などに従事する張成澤直系の集団とされる。住民の中に恐怖感、失望などもあるという。これらがどういうベクトルで進んでいくのか、脱北者の増加いかん、第2の張成澤が出て反旗を翻すことがあるのか、社会が不安定化していくのか、逆に団結が高まったり、指導力が確立したり、新たな経済政策が出たり、外交が本格的に動くのか。両極のどちらかに一気にいくのではなく、これらの位相をぐるぐる回りながら北朝鮮は進んでいくのではと思う。

どこまで本当なのかよく分からないが、わが東京新聞が1月23日に大きく報道したハノイでの日朝接触も関心を呼んだ。いきなり局長級はすこし無理な話で、日本大使館の人が北朝鮮の人に会うぐらいが自然ではないかと感じている。北朝鮮は韓国とうまくいっておらず、対米関係も順調に進みそうもない、中国とは資源収奪とか影響力への警戒が強くスムースにいきそうもない。
素人的に考えても、日本にアプローチしてくる可能性はある。どういう形でくるかの判断は難しい。拉致被害者問題は特定失踪者を含め拉致された全員を返せと日本側は言っており、これだと間口が広くなって、何人か帰って来ても満足できず、逆に安易な妥協と非難され「火中の栗を拾う」ことになりかねない。名簿をもらうとか、とりあえず平壌にいる人だけ返させるとか、さまざまな手はある。安倍政権は消費税値上げや集団的自衛権など支持率上昇要素がないだけに、思い切って日朝関係で賭けに出ると言う人もいるが、昨年も同じ話があったのに全然動きは起きなかった。そんなリスクをとらずとも十分な程度の支持率は維持しているので、まだ大丈夫と踏んでいるのではないか。日本側は追い込まれていない、北朝鮮側は追い込まれている。従って接点を探る動きはあるだろう。遺骨拾集問題で北朝鮮に往き来している日本人の話では、最近は北朝鮮側が日本にある北朝鮮関係者の遺骨の参拝を求めているようだ。今年それに関係する動きが出るのかとも思う。ただ日本側団体の内紛が深刻化している話もある。

対外関係の展望

中国、韓国、米国、日本との対外関係展望で、中国については、北朝鮮が今後不安定化するかもしれないので金正恩第1書記を積極的に呼んで自国側に引きつけようとするという説と、中朝関係は停滞するという2つの見方がある。昨年の貿易も大分落ち込んだという報道もある。
昨年12月12日に北朝鮮外務省の李光男儀典局長が北京を訪れたが、その後は特に張成氏処刑の問題をフォローするような動きはない。中国は国際社会の目があるので北朝鮮の挑発行為には制裁で対応する、それが嫌なら6カ国協議に戻り皆の輪に入ってくれ、そういう風に進めていくと思う。
韓国は、開城工業団地、離散家族の面会を中心とした宥和政策を続けるだろうが、最近の北朝鮮の「平和攻勢」にはかなり警戒している。朴槿恵大統領は統一すれば良いことがあると言い出しており、北朝鮮の内部情勢がかなり厳しい、自分の一貫した対北政策が功を奏し向こうが折れて妥協してくるのではと読んでいるようにも見える。
米国は核放棄最優先を貫く構えで中途半端な妥協はしないだろう。軍事演習を実施するので、このままいけば昨年のように、北朝鮮が警告し挑発姿勢を示す可能性があるのではないかと思う。

核兵器放棄については、皆さんも感じられている通り、可能性はほとんどないと思う。昨年に発表されたといわれる労働党の「10大原則」を入手したが、その中に「偉大な首領様と将軍のおかげで、核武力を中心とした無敵の軍事力を持つようになった」と明記されている。北朝鮮の人々はこれを暗記し続けているので、簡単な放棄はあり得ない。
日本は拉致、核、ミサイルの一括解決を主張しており、核放棄展望がないと3点セットは難しい。最近の新聞に、安倍政権の拉致問題への優先度が下がっているという指摘が出ているが、確かにそう感じられる、拉致解決を売り物にしなくても十分やっていけるという意識があるようだ。
北朝鮮難民基金の人から、中朝国境が緊張しており、中国側住民は何か起きるのではと不安がっている、中国人民解放軍の瀋陽軍区が、伝えられる10万人ではなく15万人を増強して軍事演習をしており、北朝鮮に圧力を掛けているのではないか、との話を聞いた。北朝鮮側ではコンクリート製トーチカを築いていたという。韓国の息のかかった軍部隊の侵入、演習時の中国側の動きに神経を尖らせている印象だったという。頼みの綱の中国との関係がそれほどぎくしゃくしているとすると、北朝鮮がこれから経済的自由化を進めるのは難しくなりかねない。北朝鮮の上の人の考えていることと、下の経済関係の人が考えていることが一致していない、上部と下部の構造がスムースでないとすれば、政策の展開は容易ではないだろう。

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モデレーター・小野田明広より

五味講師の言及した2013年の中朝貿易について、モデレーターは日本経済新聞を引用し「貿易総額は65億5600万ドルと2年連続の60億ドル超過で過去最高水準になったが、13年2月に北朝鮮が核実験に踏み切って制裁が科された結果、核実験前の年である2012年に比べると8.6%と伸び悩んでいる。中国の北朝鮮への輸出も2.8%増にとどまった」という中国税関の発表を紹介した。

コメンテーター・小牧輝夫より

この後、小牧輝夫所長が、丹念な取材と多くの資料を使った五味講師のまとめを高く評価した上で、対立構図など数点についてコメントを加えた。

小牧所長は社会主義国での対立のパターンとして、イデオロギー的・思想的対立を第一に挙げ、社会主義国で過去に何回もあり一番深刻なものだと指摘。次に路線対立や政策対立、さらに権限や利権対立が続くだろうと述べた。今回の張成澤氏の粛正・処刑の位相がどれに近いか考えると、どちらかと言うと権限・利権対立で、政策や路線対立にまで至らなかったのではないかと感じられると述べ、五味講師の意見を求めた。

また、金正恩第1書記が自らの権力を確立するために粛正・処刑を行ったと思われると位置付け。判決文が完全なでっち上げではなかろうという五味講師の見方に同意すると述べた上で、一方的な主張なので、張成澤氏がどの段階まで明確な挑戦をしていたのかはよく分からない状態だと指摘。

金正日総書記の死去に伴い若い金正恩氏が後を継いだことで、新体制の構成が注目された。後見人として張成澤氏の名前が浮上したが、同時に、果たして支える役割に徹することができる人かどうかという疑問が当初からあった。一般的に言って、朝鮮半島の歴史の中で若い王子が新たに王位に就いた際には老臣たちを排除することが多い+。その歴史に照らし北朝鮮でも後見人体制はうまくいかないとも言われていた。ある程度その予測に沿った動きとも言えるが、今後はどうなるのだろうか。

崔竜海氏は難しい立場だろうが、金正恩氏を支える中心人物が誰なのか分かりにくくなったと指摘。金元弘・国家安全保衛部長が重要な役割を果たしたので中心になるとの見方もあるが、治安面で有能な人でも国家戦略などはどうなのか。有能で頭が良すぎる人は「第2の張成澤」になる危険もある、と五味講師の意見を求めた。

経済政策や国内への影響の五味講師の説明にも、多くの点で同意見だとしながら、「改革開放的な動き」が今後なくなってしまうかどうかが論点だろうと指摘した。当面は警戒して大きな動きはないかもしれないが、北朝鮮経済の現状、周囲の環境を考えると、やはり改革開放的な方向でしか経済を立て直すことはできないと感じる。だから、これで完全に芽はなくなってしまうとは考えていないが、五味講師はどう思うかと問題提起。
朴奉珠首相、盧斗哲副首相ら、従来、改革的な動きを実際面で指導してきた人たちが今のところ健在のようで、将来は分からないにせよ、政策的に大きな転換がないのではとも考えられると指摘。

また講師が新年辞で「チュチェ(主体)」という用語が今年見られないと指摘されたことに関連し、「チュチェ」を今の時代に合わせて実務的にかつ柔軟に適用しようとする動きとして注目されると指摘。

対外面で対中国関係が冷え込んでいるが、時間がたてば双方から修復の動きは必ず出てくることになろうと指摘した。だが、中国は本気で北朝鮮の核開発を認めない姿勢のようなので、いずれどこかで線引き、何らかの妥協のようなことが行われないと、中国も周辺諸国も対応しにくいと述べた。
日朝関係はわずかに細い糸がつながっているだけだが、安倍首相の支持率との関係で五味講師が日朝関係改善の優先度は低くなっているのではと指摘した点が興味深かった、とコメントをまとめた。

五味講師からコメント

五味講師は「今回の政変がイデオロギー的対立だと良いと思っていた」と回答を切り出した。張成澤氏が本当に中国式の改革開放を進めようとしていた、と受け止めている人がいたからで、金正男氏もそうだった。張成澤氏が身を賭して何かをして処刑されたのかと思ったが、聞いた範囲や報道を見る限り、「権限・権益を乱用した」との受け止め方のようだ。小牧所長の指摘のように、これから経済特区の開発や農業の(分組)小規模化など経済改革が進んでいく可能性があり、今後の動向を見たいと述べた。
ただし、03〜06年の取材時にも、北朝鮮が農業の(分組)小規模化をやっているらしいという話があり、他の日本の報道機関とともに書いたが、全然進まなかったこともある。後で聞いたら「試験的な段階から広がらなかった」という。今回もどこまで進むかに疑問はあるが、住民に喜んでもらえる娯楽施設の建設路線などは進めていくだろう、それが対外的開放につながれば良いと思う、と指摘した。

日本については、アントニオ猪木議員も「さらに来てもらいたい」と聞いてきて、北朝鮮外務省局長も「特定の例外を除き誰でも来ていただいて結構だ」と別の機会に発言している。日本に対してはハードルを下げている印象を受ける。

金正恩氏の権力確立ぶりには諸説あり、五味講師も分かりにくいと認めた。北朝鮮と取引している商工人は、パルチザン系の年配の人がパワーグループになりアドバイスしていると見ている。確証はないが、金正恩氏はせっかちな性格なので、他人の意見を聞いてうまくいかないとすぐに遠ざけたりしたりもしているようだ。既に軍や党の幹部が多数入れ替えられていると伝えられており、今後も入れ替えは続こう。呉克烈氏を先に注目人物に挙げたが、確か昨年、北朝鮮を訪れた人の話では歩くのもやっとだそうだし、金正恩氏に本当に影響力がある人が誰かはよく分からない、という。

中国にとり北朝鮮は、70年近くの関係があり、崩壊は避けたい、石油や食糧を最低限は与えるという現状維持路線は今後も着実にとっていくだろう、と五味講師は指摘。ただ胡錦濤時代に比べると習近平中国国家副主席は少し北朝鮮に冷たくなっているというのが印象だ。米国とのパワーバランス、米に匹敵する大国願望があり、北朝鮮の言うことばかり聞いてはいられぬという姿勢。中国は北朝鮮にとり生命維持装置でありながら、以前よりは厳しい姿勢で、口ももう少し出していく可能性があるのではないか。そうなると、金正恩氏の訪中も当分はないのかもしれない。中朝関係も少し難しい時代に入っていく気がする、と五味講師は述べた。


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参加者との意見交換

モデレーターが再度、冷静な知的対応を求めた後、参加者からの質問、意見交換に移った。

張成澤氏の粛正・処刑に付随して海外に派遣された外交官らが召還されている動きに関連、なぜ亡命事件が起きないのか、との質問があった。
五味講師は、以前は家族単位で海外赴任する例もあったが、この数年、親族が平壌に残ったまま「人質」化とも言える扱いが常態化しているようだと指摘。家族、特に子どもが帰国させられ、本人もその後で召還に応じる。海外任地に帰任した1人を除き、召還組はそのまま北朝鮮にとどまっている状態で、そこから処刑説が出ていると説明した。
北京で付き合った北朝鮮ビジネスマンの中で本当の金持ちは家族で住んでいる人もいた。だが単身赴任がほとんどで、金を奪い逃げないよう「担保」が取られているとも言える状態だったという。
「処刑」は死刑以外の刑を科す意味もあるが、朝鮮半島ではまず死刑を指す、と補足説明があった。

別の参加者は「改革開放」という言葉の受け止め方で問題提起。金正恩氏の一昨年の施政方針演説だと、核武力で平和を確保、それができたから経済建設、特に人民生活の向上に全力を注いでいく、という流れだという。それをやるには今回セミナーでいろいろ論議された「外資の導入」が必要だ。しかし、この「外資導入の必要性」を日本、米国、韓国の新聞報道は「改革開放」と連結する形で報じるという。北朝鮮は資本主義へ向かうための「改革開放」という日米韓メディアの捉え方は受け入れておらず、国内でもこの表現は使っていない。言葉のニュアンスに差があることを認識した方が、論議が正確になる、との指摘だった。

五味講師がこれを受け、「短期的に見ると、北朝鮮がある日突然、中国のように改革開放をするのだと大号令をかけて進むとは思えない」と指摘した。死刑判決文で「資本主義の堕落ぶりが入るよう先導」と糾弾している北朝鮮の体制の中に、大々的に外国資本が入ったり、外国人が生活するようになるとは、今後も考えにくいとの見方を示した。しかし脱北者への聞き取りで驚いたのは、処刑報道が出たその日の朝、5時とか6時にソウルから平壌に電話をしてみたという人が何人かいたことだったという。今までは中朝国境地帯だけだったのに、平壌まで電話が可能になっているのかと。訪朝された方はご存知と思うが、外国と通話できるSIMカードが売られているので、それを利用しているのかもしれない。でも盗聴を警戒して10分ぐらいしか続けて話せない。「まだ報道がないので分からないが処刑された可能性はある」と言っていたそうだ。それを見ると、ゆっくりではあるが、北朝鮮の社会も開いてきている。また閉じてしまうかもしれないが、かなり変わってきている。小牧所長からも関連した話を聞いた。
だから、右に行くか、左に行くか(という単線上の話)ではなくて、ぐるぐる回りながら少しずつ変わっていくのが無理のない方向ではないか。

五味講師は馬息嶺スキー場開発を注視しているが、元山の近くに国際運動施設を作り、国際競技を開催、収益も上げる発想は、成功するか失敗するかは別に、昔から考えれば大きな変化だと指摘。ベルン滞在中に見たスイスのスキー場イメージを金正恩氏が持っている可能性もあるという。

姜英之理事長が「改革開放」についてコメント。市場経済化という意味で言えば、小牧所長が指摘したように北朝鮮も改革開放に進まざるを得ないが、北朝鮮式の改革開放、北朝鮮式の市場経済化がどうなるかが焦点だと指摘。既に経済を牛耳っている軍部勢力の中で開放的な幹部が必ず出てくるはずだ、そのような軍部勢力が改革開放を進めていく可能性もあり得ると述べた。

参加者からさらに、死刑判決文にも盛り込まれていた北朝鮮の地下資源の品質、規模に関する質問。
五味講師は、日本植民地時代の古い調査資料のほか、韓国政府が4、5年前にまとめた調査資料もあるが公開されていないと説明。現在は中国への輸出はストップ、中国側には北朝鮮側が主張するほど品質は良くないという声もあるという。
地下資源ブームがレアメタルを含めてやや沈静化しているようなので、開発は将来の課題ではないかというのが五味講師の受け止め方だった。

【報告】 第16回北朝鮮問題セミナー

「北朝鮮は、いま」 小牧輝夫  訪朝報告

2013年10月24日 東京・学士会館



*Komaki東アジア総合研究所は10月24日、第16回北朝鮮問題セミナーを東京神保町の学士会館で開き、このほど新所長に就任した小牧輝夫元国士舘大学教授が、8年ぶりに訪れた平壌の変化について報告した。


金正恩第1書記の就任から2年近くたった朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)国内の雰囲気、経済管理改善措置の実施など興味深い話が披露され、質疑応答が活発に行われた。


ほぼ同時期の9月下旬にソウルを訪れ、知識人と意見を交換した当研究所の姜英之理事長も2番目の講師として韓国の現状を報告した。就任半年の朴槿恵大統領は外交や経済で難問に直面しており、日韓関係の冷却状態が懸念されると述べた。


朝鮮戦争休戦協定60周年の平壌

経済分野を中心に「ほぼ4、5年ごとに北朝鮮を訪れ」動向を継続的にウォッチしてきた小牧輝夫氏にとり、今回は8年ぶりの訪朝。日朝国交促進国民協会(村山富市会長)代表団の一員だった。

今年は朝鮮戦争休戦協定60周年に当たる。日本人として初めてという話だったが、平壌から自動車で3時間の平安南道檜倉(フェチャン)にある中国人民志願軍司令部跡と同志願軍烈士陵の見学を許された。中朝連合司令部もその地域に置かれていたことが、後日の朝鮮社会科学院歴史研究所との意見交換で確認された。対外的にはこれまで、北朝鮮国内の連合司令部の存在が確認されることはあまりなかった。


日朝関係や核問題については公式的な見解に沿った内容だったという(日朝平壌宣言に基づく国交正常化交渉の促進、2005年9月の6カ国協議合意に基づく「北朝鮮だけでなく朝鮮半島全体の非核化」、日本が拉致問題だけに固執せず北朝鮮の核保有を含む地政学的変化の中で大局的に対応することなど)。


また東京千代田区富士見町の朝鮮会館入札問題について、「歴史問題であり日本側の対応を注視している」と日朝交渉担当の宋日昊大使は語ったという。

日朝間の対立が目立つ状況下なのに、宋大使が安倍政権を強く非難する口調ではなかったのが印象的だった、と小牧氏は語った。

薄れた緊張感、目立つ携帯電話

小牧氏は短い滞在という制約条件を挙げた上で、
(1)平壌で新しい建物が目立った、(2)黄色と緑色の派手なスタイルのものをはじめ多くのタクシーを目にした、(3)自動車と信号が増えて交差点で交通整理をする女性警察官の姿が減った、(4)女性の服装がカラフルになった、(5)以前はホテルでも経験した停電がなかったし街のネオンが増えた、(6)年配者などを中心に普通江の川縁で釣りを楽しむ人が前より増えた、(7)空港入国時の携帯電話の入管当局への預け入れ義務が海外からの訪問客にはなくなったほか、街で携帯電話で話しながら歩いている市民の姿をよく見かけた……などの街の印象を語った。


携帯電話は、運営しているエジプトのオラスコム社の発表によると今年夏段階で200万台を超えたとされる。2400万人程度の人口からすると高い所持率だ。携帯取得には初期投資が300ドルかかると言われており、一般的な北朝鮮の人々の収入からしても高額だが、経済管理改善措置で給料が上がっている事態の反映かもしれないという。

携帯電話による国際電話は規制されているが、外国人の場合、国際通信センターで北朝鮮の携帯を借り、プリペイドカードを入れれば可能となった。実際に代表団の1人が試した。日本や中国にはつながったが、なぜかロシアにはうまくつながらなかった。

インターネットは一般の住民はまだ規制されており、イントラネットの枠内に限定して情報交換を認められている。徐々に規制が緩和されている印象で、外国人がインターネット接続をしたい場合は、国際通信センターでiPadなどにプリペイドカードを挿入する形でできるようになったという。


国際的な制裁が続いているとはいえ、それほど追い詰められた状況には感じられず、平壌の停電度合いなどからすると、経済は以前よりも回復しているように感じた、と小牧氏は述べた。
ただし基本的に食糧とエネルギーが厳しい状況にあることは変わっていないのが現実だという。

中国への依存関係がリスクファクターか

経済動向については、社会科学院経済研究所の李基成博士が小牧氏ら代表団の質問に答える形で「経済建設と核武力建設の並進路線」を説明した。

「並進路線」は1960年代初めのキューバ危機、韓国の朴正煕政権の登場の際にも、北朝鮮が軍事力強化のため推進したことがある。今回は、核戦力も持ち軍事力は基本的に備わった状態になったから、今後はより多くの資金と労力を経済建設に向けるのが目的だと李博士は強く示唆したという。国家歳出に占める軍事費の比率は大幅増との予想に反し、伸びは横ばいになっている。もちろん、「国家予算の発表数字が信頼できないという見方に立てば、話は別になる」という。


農業と軽工業重視は最近の特徴だ。2012年の穀物生産は精米ベースで529万8000トン、前年比16万トン増との数字を挙げた後、洪水被害で「計画量には達しなかった」と李博士は述べた。小牧氏によると、計画未達の言及は従来にない姿勢で、北朝鮮側の自信の表れとも受け止められるという。


李博士は、北朝鮮がいわゆる「改革・開放」に向かうつもりはないと述べた後、社会主義経済管理改善を実施しているとして、農業、工業両分野での措置に言及した。メディア報道はあったが、北朝鮮の経済専門家が確認したことは今回の大きな成果だった、と小牧氏は指摘した。


農業では、協同農場の末端単位である「分組」の規模について、従来は15人から10人程度に縮小されていたが、さらに3~5人に縮小され最小限2世帯でも良い、とした。社会主義集団制を守る北朝鮮としては、中国の農家請負制のような1世帯ではだめだが、親戚とも、あるいは世帯が別なら親子でも分組を組めるという措置だ。しかも同じ田畑を担当して耕すようにしたので、堆肥施用など農作業が丁寧になる可能性があるという。さらに農民は、国家に収穫の30%程度を納入するが、残りは国家への販売を含め自由に処分できるようにしたという。


工業では、企業の分配権限を大幅に増やしたとされる。従来のやり方は、国家が企業に給料支払い分と一定の投資費用を残し、残りを全部吸い上げていたため、企業が生産拡大をしてもうまみがなかった。それを、国家への納入は企業の上げた純所得の30%で良いとし、残りを企業が労働者に分配したり、投資に向けたり、自由に決めて良いとなったという。

これらの改善措置の結果、「農民や労働者の生産意欲が高まっている」と李博士は説明したという。

しかし、国家が企業から60ないし70%を取るというメディアの報道もあり、数字にははっきりしない面もあると小牧氏は言う。国が企業にさまざまな資材などを売っており、これを勘案するとそうした数字になるのかも知れない、と小牧氏は指摘した。平壌で国内向けの下着製造工場を見学した際にも、改善措置に話が及んだという。


対外経済については、中国という名前は具体的に出されなかったが「一辺倒を避ける」という言い方で、李博士は貿易多角化、地方への権限分与、資金回転の速い外国人向け観光業推進を強調したという。中国への比重が圧倒的に高まっているのが現実で、この「(中国)一辺倒」は好ましくないと判断している表れだろうという。


小牧氏によると、今年に入り、これまで拡大する一方だった中朝貿易に影が差し、上半期の貿易が急減しているという。(1)中国が国際社会向けのジェスチャーとして北朝鮮に対する制裁措置を強めた(2)中国経済自体がダウンしてきた—という側面があるが、北朝鮮にとっては中国との貿易がリスクファクターになりかねず、今後の推移と及ぼす影響を注意深く見守る必要があるという。


日朝間には国交がないうえに、貿易や往来も日本側の制裁措置で制限されている。そうした状況下で、戦時中や敗戦のため日本帰還の途中に北朝鮮で亡くなった兵士らの遺族関係者の遺骨探し、墓参のため訪朝する高齢の日本人たちが、たまたま小牧氏らと同じ航空便に乗っていたという。北朝鮮側は彼らを人道的問題として受け入れた。核問題をめぐる国連安保理決議に基づく制裁措置は別にして、日本側も、差し当たり人的往来や人道的レベルの交易については認めていっても良いのではないかと感じた、と小牧氏は述べた。


朴槿恵大統領は外交で得点、経済は不振

次いで姜英之理事長が韓国の建国大学で講義した後、知識人と意見交換してきた結果を報告した。

就任前に女性初の国家元首として安保面で不安を抱かれた朴槿恵大統領だったが、北朝鮮に対する原則的姿勢の堅持、米中両大国との首脳会談実現などにより世論調査で高い支持率を得た。特に中国語ができることを活用、習近平国家主席に韓国政府の立場理解を求めて外交的得点を上げた。


しかし経済成長率の下方修正、公約だった財閥依存経済の改革停滞や福祉政策の後退など、経済的には朴槿恵大統領の足元はぐらついている。

また、北朝鮮を支持する「主(体)思(想)派」とされる野党議員を内乱陰謀罪で逮捕し、国内の左右対立(南南葛藤)が深まった。社会全体として格差や対立はさらに深刻化しているという。

経済学者やビジネスマンは日韓関係を冷静に診ており、韓中日の3国自由貿易協定(FTA)の推進が大切だと認めていた。問題は一般国民の世論、意識、政治家の受け止め方だ。大学生の世論調査で「北朝鮮より日本が敵」と50%が回答、別の世論調査で国民の72%が日本を同盟国でないとしたとされている。そんな状況なので、朴槿恵大統領は歴史問題を取り上げて、日韓首脳会談の時期ではないという態度を崩していないのだという。

韓国側から日本に首脳会談を持ち掛ける姿勢がないことは、政府関係者の間で強かったという。

サムスンがソニーやナショナルを国際市場で追い抜いたことを喜ぶあまり、韓国人が自国経済や国際的立場を過大評価、その裏面として日本経済を過小評価している傾向が目立つと姜英之氏は指摘する。安全性を理由とする日本からの水産物輸入禁止措置や、通貨スワップで日本との協定延長を見送って中国に期待するなどの動きだ。確かに韓国の外貨準備は3000億ドルあるが、対外負債も同程度あり、実質ゼロの不安定な状態だという。あえて「危うい対日政策」の危険性に注意を喚起してきたと姜英之氏は述べた。


中国への過剰期待リスク

中国への関心、期待の高まりも特徴的だ、と姜英之氏は指摘した。脱冷戦時代のアジアで、中国の台頭と米国の力が後退している状況を反映した動きではある。中国へ向かう韓国人留学生が増え、日本向けは減っている。

経済面で中国が韓国経済に圧倒的な影響力を持っているだけでなく、外交面でも北朝鮮の核問題が「中国頼み」になっている。この中国傾斜は、日本や米国との協力関係にきしみをもたらしている。南北当事者間の協力関係が凍てついていることが、さらに韓国の中国への期待感を高めている。


歴史的に中国への「事大主義」が強かった韓国だけに、国民の間で対中志向がさらに深まっていくことに伴うリスクは軽視できない、その点も韓国側知識人に伝えてきたと姜英之氏は述べた。


主な質疑応答

この後、主に北朝鮮の経済について、参加者と小牧、姜英之両講師の間で次のような質疑応答が繰り広げられた。

問い:工場生産品の販売先や価格の自由度は?
  • 国家が全体計画を考えながら示す品目と生産量の目標を企業は生産しなければならず、国家への納入価格は定められている。求められた以上に生産できれば、企業が自分たちで処分できる。メリヤス工場でも、これは売れそうだと自分たちで判断したら販売は可能だと言っていた。価格をどこまで決められるかは微妙なところで、「自由な価格設定」という報道のところまでいっていないと考えている。
問い:余った物の販売で流通部門誕生も?
  • 流通は遅れている部門だと思う。自由に販売できる市場がないので生産物を広く売りさばけず、メリヤス工場の場合でも百貨店などと個別契約して販売しているとの話だった。今回は見学できなかった政府公認の「地域市場」があるが、そこで大量に生産した物を売りさばくのは困難。見込み生産が難しいので在庫を抱える危険性があり、原材料など資材を調達・確保するのも難しい。国家計画以外では、自分たちの力での調達を迫られるので、物不足の社会なだけに、(流通部門)拡大の余地は限られる。
問い:中国産物品の輸入に規制はないのか?
  • 国内生産で代替を図っているが、まだ日常商品は中国産が多い。中国商人から買い付けた北朝鮮業者などが「地域市場」で売り、北朝鮮の国内の人は自由に買える。価格統制はよく分からないが、基本的に「市場」なので需給関係によるようだ。ウォンが使われ、中国元も通用すると言われている。為替レートの実態は本当に分からない。ホテルでの外国人には1ドル=約100朝鮮ウォン、1円=約1朝鮮ウォンなどの公定レートが適用される。外国人レートでも長期滞在者は少し優遇されるとの説がある。さらに一番レートが良いのが海外で稼いだ外貨を北朝鮮の人が国内でウォンに替える場合とされる。具体的な数字を聞けなかったが、1ドルが7千ウォン程度と言われている。いわゆる闇レートはまた別である。
問い:食糧事情は?
  • 年50〜100万トン不足の状態がずっと続いており、国際機関からの支援、中国からの購入などである程度カバーしている。中国は売却を禁じていない。
問い:企業純所得の30%を収めるのは税金?
  • 国営企業の利得金収入が国家収入の最も重要な柱であり、一種の法人(所得)税にあたる。
問い:選択的に納入する企業が出てこないか?
  • 可能性としてはあり得るが、労働党による監視が北朝鮮ではきつく、罰もこわいはずだ。党組織が企業側に付くか国家側に付くかだが、基本は国側に付くだろう。表立ってするのは困難だろう。
問い:安倍訪朝のうわさがあるが?
  • 聞いていないが、(拉致問題は)トップ会談で解決するしかない問題なので、支持率が高く自民党をコントロールしている安倍さんが決意されているのならば可能性はあるだろう。北朝鮮側は、日本政府が問題を前進させたいと決断するなら、再調査に応じ、横田夫妻の孫との対面のための訪朝も歓迎するとしている。だが、めぐみさんの生死の真相は不明であるし、全面解決とは何かという問題もある。仮に水面下の話があるとしても容易なことではないだろう。
問い:経済開発区で東西に温度差があるが?
  • 東西両海岸の中朝国境地帯で進めようとしているが、西海岸側の黄金坪・威化島開発区はまだ具体的な投資が進んでいない。中国側は実務的に法制度の不備を懸念しているようだ。西海岸側の開発区は共同管理で、経済特区を共同管理で行うのは世界でも例がない。東側の羅先は中国吉林省にとっては海に出るために重要で、国境から羅先までの50数キロの道路の舗装は中国側が行った。ロシアは国境のハサンから羅先までの既存の鉄道をロシア側で整備した。羅先港にある4埠頭のうち、3つは中国、1つはロシアが使うとされており、中国はさらにいくつかの埠頭を建設する予定といわれる。
問い:竹島は韓国側では独島と呼んでいるが、韓国にあげたらどうなるのか?
  • (姜英之)この問題は歴史問題だというのが韓国側の抱き続けている意識だ。従って竹島を譲れば歴史問題も解決するということで、韓国は歓迎するだろう。
問い:朴槿恵大統領は(竹島に上陸して日韓領土紛争を再燃させた)李明博前政権のやり方を引き継いでいるのか?
  • 朴槿恵氏は父親の朴正煕元大統領が親日だったので、厳しい目で見られている。朴槿恵大統領は経済問題などで国民の支持を受けられないまま推移しており、政権支持率は40%程度にまで下がってきている。彼女個人の人気は高いものがあるが、政権となると別で、元々、昨年の大統領選挙の結果でも野党候補との票差はわずかだったし、与野党は拮抗したままだ。韓国人の国民性から言えば、妥協の余地はない(左右対立の激化や対日強硬姿勢が降ろしにくい状態は続くだろう)。
問い:北朝鮮、韓国とも、中国への依存度や期待感が強まっているようだ。日本はどう動けば?
  • (姜英之)朝鮮半島の統一について、日本も韓国も統一の方向を望んでいる。だが中国は分断固定化に向けて動いているのではないか。その状況下で韓国が中国にのめり込んでいくのは望ましくない。戦時の軍統帥権について、米国は返すと言っているのに、韓国は待ってほしいと求めている。米中関係が緊張する場合もあろう。韓国は北朝鮮との南北関係を重視すべきだと思う。南北首脳会談が今後行われることを期待している。
  • (小牧)北朝鮮は中国への(過剰)依存を危惧しており、そのような状態から脱却したいと思っている。しかし、そのことを公には言えない。そして日本や米国は(北朝鮮のこの望みに)冷たく、北朝鮮を中国側に追いやっている形だ。日本は独自制裁などで北朝鮮との貿易をどんどん削ったことで、北朝鮮を中国接近へと追いやった面がある。日本はかつては北朝鮮貿易の30%を占めていたが、現在ではゼロで北朝鮮貿易の80%が中国となってしまっている。日本では「北朝鮮は中国に従属してしまった」と喧伝しているだけだが、国家戦略的な意味できちんと考えるべき問題だと思う。
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