せめて日中韓首脳会談を未来に向けたものに
——違和感だらけの“抗日勝利70周年”軍事パレード——

西 和久(東アジア総合研究所 副所長)

◆ 笑えない大パレード

中国の「抗日戦争勝利70周年」を記念する式典と軍事パレードが9月3日、北京の天安門広場とその周辺で行われた。「抗日」という名目で、大規模な軍事パレードを実施するのも、そこに外国の首脳を招待したのも初めてのことである。

苦笑させられたのは、軍事パレードのためにしばらく前から北京と周辺の工場を操業停止にし、自動車のナンバーを偶数と奇数に分けて交通量を半減させたことだ。おかげで、ふだんはスモッグで灰色に曇った北京に青空が戻った。人々から「パレードブルー」だとか「閲兵ブルー」だとか呼ばれたという。

2008年の北京オリンピックを思い出す。雨雲にミサイルを撃ち込んで事前に雨を降らせ、当日を晴天にした。開会式における、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の色彩豊かな演出も含めて、その徹底ぶりに、驚きと笑いを誘われた記憶が残る。
だが、今回の軍事パレードは笑えない。テレビや新聞で報道された、“大軍事パレード”に、多くの人たちが違和感を抱いたはずだ。「抗日勝利」とかいう平和の式典に、なぜ軍事パレードが必要なのか? いったい、誰に見せるための軍事パレードだったのか?

◆ 事実上の正当性

国内向けと国外向けの両方、というのがおそらく答えだろう。まず、国内向けには正当性の問題がある。

多くの人たちが指摘し、台湾の馬英九総統が抗議したように、当時の日本軍と直接戦ったのは、パレードを行った人民解放軍(現在も政府ではなく、共産党の軍隊である)ではなかった。国民党が支配していた中華民国政府の軍隊だった。
だが、中国国民にとって、共産党政府の法的正当性はもはや問題ではない。すでに66年間中国を統治してきたのだ。それよりも、選挙で選ばれたわけではない共産党政府の「事実上の」正当性を担保するものが2点あるといわれている。「経済成長」と「ナショナリズム」である。

これまで国民に大きな希望を与えてきた経済成長は、明らかに鈍化している。かつてのような10%前後の経済成長は無理になり、「新常態(ニューノーマル)」という言葉を使って、成長目標を7%に落とさざるを得なかった。しかも、その7%さえおぼつかないと言われているのが現状である。

残るはナショナリズムである。「抗日」という言葉を掲げ、国威発揚を実感させる大規模な軍事パレードでナショナリズムをかき立てる——習近平国家主席の演説などから、日本政府が求めた和解の言葉はついに聞かれなかった。
だから、こんな陰口をたたかれる。「ファシズム的なやり方で、反ファシズム勝利を祝った」と。

◆ 習主席とプーチン大統領

海外向けには、米国向けを意識しているのだろうか? 軍事パレードに出された兵器は、8割が未公開のものだったが、なかでも目を引いたのが、複数の核弾頭を持つ大陸間弾道ミサイルや「空母キラー」と呼ばれる対艦ミサイルなどだったと報じられた。

一方、習主席は式典で「兵員30万人の削減」を表明したが、軍事費を削減するとは言っていない。米国にとってはともかく、中国との間で、南シナ海などの領土問題を抱える周辺小国にとって、この中国の力の誇示は、ずいぶん威圧的に感じられただろうと思う。

余談だが、こんな見方もある。軍事パレードは天安門広場での国旗掲揚から始まった。広場に整列した儀仗兵が、国旗をささげて天安門前のポールまで、121歩で行進した。この121という数字は、121年前の日清戦争から今日までの歩みを意味するのだそうだ。

「抗日」を清朝時代にまでさかのぼったのは何のためか。歴史を日清戦争の前まで巻き戻さなければ、南シナ海が中国の勢力圏だったことを正当化できないからだと見る(『毎日新聞』2015年9月3日)。ずいぶん都合のいい歴史利用には違いない。

さらに、もう一つの違和感は、軍事パレードを見下ろす天安門上に並んだ首脳の顔ぶれだ。といっても二人。習主席とプーチン・ロシア大統領である。
どちらも、「自由」と「民主」とを掲げる米欧型の世界秩序に不信感を持ち、独自の論理で自前の権益圏をつくろうと米欧に挑戦する権威主義的国家の指導者である。まさに、彼らが70年前に勝利したという相手に、そっくりではないか。

◆ 中国側に舵を切る韓国

唯一の西側国首脳として、この二人の隣に並んだ朴槿恵・韓国大統領は、なんとも居心地が悪そうにみえたものだ。その朴大統領の式典と軍事パレード参加について、いろんな評価がある。

日米同盟の観点からみる日本での評判はよくない。姿勢がぶれていて、最後に中国側に舵を切ったと見るからだ。しかし、当の韓国では、朴大統領の支持率は上がったと聞く。
その背景には、日本で報道されているように、北朝鮮の牽制のために中国の存在が必要だったことや経済重視という理由だけでなかったようだ。韓国の報道をみると、米国が韓国に求めているTHAAD(終末高高度防衛)ミサイルシステムの配備問題も絡んでいるらしい。

北朝鮮から弾道ミサイルが発射され、海上配備型迎撃ミサイルが大気圏外で撃ち漏らした場合に、大気圏再突入後にTHAADが撃ち落とすという。これに対し、THAADが配備されれば、北朝鮮だけではなく、中国全域もカバーできるようになるとして、中国が韓国に配備しないよう強硬に圧力をかけているという。

韓国にとって、北朝鮮からの脅威は必ずしも弾道ミサイルだけではないこともあって、米国の要請を断ってきた。そのことがあって、韓国は安全保障面でも、中国側に大きく近づいたとされたのである。

ただ、日米から見ればそうかもしれないが、必ずしも結論は出ていない。そこに韓国外交のしたたかさがあるのなら、それはそれで認めるしかないのではないか。日本のあまりの米国べったりを考えると、いろんなしたたかさがあっていい。

◆ 唯一の未来につながる提案

それよりも評価すべきなのは、目的も、やり方も、そして方向性も違和感だらけの「抗日勝利70周年」の行事にからんで、唯一ともいえる前向きな、未来につながる話題を持ち出したのが、朴大統領だったことではないか。日中韓首脳会談の提案である。

式典前の韓中首脳会談で朴大統領が持ち出し、消極的だった習主席を説得したとされている。だからかどうか、韓国側の発表には、成果としてあげられているが、中国側の発表では無視されている。

日中韓の3国首脳会談は、かつて議長国を持ち回りにして毎年行われていたが、2012年5月に当時の野田佳彦首相以来、3年間行われていなかった。
次の議長国が韓国であることもあり、米国の懸念を押しきって、中国に傾斜したと見られないよう、成果を出そうとしたと受け取られている。それでもかまわない。日本はこの提案を受けるべきだし、実際に受け入れた。すでに韓国提案の10月31日か11月1日かの日程で調整が始まっていると報じられる。

もっとも、3国首脳会談が開かれたからと言って、何かが解決するわけではない。でも話し合うことは重要である。会談をしているかぎりは、それぞれの関係がよくはならなくても、悪くなることはないだろうからだ。

われわれがテーマとする北東アジア地域には、日中、日韓、日朝、それに韓国・北朝鮮(南北)、韓中、韓米、さらには中朝、米中、米朝といった一筋縄ではいかない二国間関係が錯綜している。それらを一つずつほぐしていくためには、日中韓首脳会談のような最低限の多国間コンセンサスが必要であり、解決の糸口になり得ると考えられる。
違和感だらけの不毛な式典と軍事パレードから生まれた、久しぶりの日中韓首脳会談を、ぜひとも未来の成果につながるものにしてほしいと思う。
(2015年9月14日)